
木の花の考え方4/4

こんなに自由に過ごしていて学校にいって困りませんか?
緊張と弛緩のメリハリを自らコントロールできる育ちが木の花暮らし!
何をしていいのか? 何をしてはいけないのか? 今何をすべきか?…。
状況を読み取り、未知への領域にやってみたいという知的好奇心を働かせることが学びに向かう力の源泉。園生活を存分に満喫してこそ学校文化への切り替えができるようになります。
木の花でだって、好きな時にお弁当を食べたりしていません。台所の冷蔵庫を開けて中のジュースや牛乳を飲んでいいわけじゃないし、先生とけんかしても勝手に家に帰ってはいけない。お庭でおしっこしたり、お外の靴でホールに入ったりするのもいけない。どんな風に落ちるのか調べてみたくてもテラスからシャベルは落としてはダメ!(花びらならいいけど)。でっかい絵を描きたくても壁にはダメ!(大きなダンボールがあるから、あれに描くのならいいけど)・・・・「してはいけないこと」はたくさんあります。
学校に行ったら、その基準が変わるだけ。子どもはちゃんと理解していきます。よその幼稚園への遠足、公共の乗り物、お茶のお稽古、満3歳入園の子まで全園児が参加する卒園式・・・・・・緊張する時間も幼稚園生活のあちこちで体験しています。
「学校はラク!」卒園生たちからよく聞きます。「学校の運動会って考えなくていいんだよ、先生が言うようにしてればいいんだから楽だよ!」、「幼稚園では私たちがしていたことも学校では先生しかしてはいけないの。***ちゃんの車イス、私たちが押していたでしょ。遠足のときも交代で押した。学校では押しちゃいけないんだって・・・・」と不思議がった子もいます。「やってみてもいいこと」も幼稚園の方が多いだろうけれど、「しなくてはいけないこと」も、幼稚園の方がずっと多い。その中で、自分のペースをつかみ、自分の中に「自信のある自分」をみつけて卒園していく。信頼して見守ってください。もし、何かあったら、いつでも相談にのりますし、学校に説明にもいきます。

通園バスは出さないんですか?
子どもが家庭の顔から幼稚園の顔に切り替えていく大切な時間のために…。
家庭と園生活、二つの世界を行き来して公私それぞれの顔を持ち始める幼児期。通園の時間帯はその切り替えの時間でそれは一人一人違う貴重な時間。そして園バスがないからこその保育の多様性を生み、お家の人が他のお家の人と出会う機会にも。
通園バスを出していません。幼稚園にとってとてもぜいたくなことに。
だから、バスの時間に拘束されずに保育を組むことができます。登園は8:30~9:10ということになっているけれど、少しはずれてもかまわない。「明日は9時までに必ず幼稚園に来とってね。」と約束して9時出発でお出かけすることもあります。金沢駅集合で電車に乗って遠足に行ったり、香林坊集合にして路線バスで遠足に行ったりすることもあります。園にバスがあれば、バスで出かけることになるだろうけれど、ないから、出かける時は歩いていくか、公共の乗り物を利用するかです。こんな遠足だからそれに付随してできる体験がいろいろ。途中でいろんな人と出会い、いろんな関わりが生まれます。通学時間帯のバスで高校生と乗り合わせて、「かわいい」って言われたり、ふざけて知らないおばさんに叱られたり・・・。
入園すると、子どもは家庭と幼稚園という ふたつの生活の場をもつようになります。母子カプセルでの子育てが問題になっている昨今だからなおさら、家庭と幼稚園が別の場所として独立していて、なおかつ繋がっていることは大きな意味をもっています。家から幼稚園への行き帰りの時間は、子どもが家庭の顔から幼稚園の顔に切り替えていく大切な時間です。自分のテンポで、自分のやり方で、切り替えられるのがいい。お母さんとおしゃべりしながら切り替える子もいるし、むっつり一人で(でも後ろからお母さんがついてきてくれるから)道端の草をかまったりゴミにいたずらしながらの子もいるし、年長なら友だちと誘い合って来る子もいる。・・・・おうちの方に付き合っていただく値打ちのある時間です。その中でおうちの方から子どもに伝えてほしいこともいろいろ。車を避けて歩く歩き方。傘をさして歩く歩き方などなど。お返しに子どもはおとなが見落としている街のいろいろなことを教えてくれます。
年中、年長さんの降園は、いくつかのコースに分かれて帰ります。私たちは「お列」と呼んでいますが、住んでいるところが同じ方向の子での縦割りのグループで、おうちの人と合流するところまで先生がついて歩いていきます。(在園きょうだいがいる
年少または満三歳入園した年少さんも希望すれば、「お列」で帰ることが出来ます)。歩く機会が減っている今の子どもたちには、この日々の「お列」はとても大事な日常の一コマと考えています。
年長さんは意識して車が通る側になって年中さんと(あるいは年少さんと)手をつないで歩いたり、またお散歩のような感覚で同じ方向で帰る友だち同士の会話を弾ませたりしながら、「こんなところにこんなお店があるね」とか、「ここの公園で遊んだよ」とか、「あそこは誰々ちゃんのおうちなんだよ」とか、幼稚園から自分のおうちの近辺のことを知り、地域のことを学ぶ機会にもなっています。一方、おうちの人には待ち合わせ場所でおしゃべりをしながら子どもたちを待ち受けてもらうことになるので、おうちの人たちにもお互いのことを知るチャンスかもしれません。

「障がい」のあるお子さんもいられるんですね。幼稚園のねらいがあるんですか?
一人ひとりみんな違うからこそ!
みんな同じではないからこそ、新しい出会いの中で何かが生まれ、一人一人が育ちあい、分かち合える場が築けます。様々な「音色」が響きあい、「カラー」が混ざりあい、一緒に生活を創る楽しさを知っていきます。
世の中には「障がい」をもつ子がいる。だから、いっしょに生活する。ただ、それだけ。でも、 「障がい」をもつ子が周りの子どもたちに教えてくれることはたくさんあります。その中で最も大切なことは、人には人それぞれの考え方や、感じ方や、楽しみ方があり、それはどれも同じように尊重される、ということ。
子どもたちは、もし、自分のきょうだいがそうであったらそうするであるように自然に「障がい」のある友だちを受け入れます。そして、知らず知らずに、人の価値、生命の価値について学びます。
優れているから、何かができるから その人に値打ちがあるのではない、ということを知り、優れているから、何かができるから その人が愛されるのでもない、ということを感じ取っていきます。「遅くてもいい(でも、そりゃあ本当は早い方がいいけどね)」ではなくて、「遅いからいい(早い子にはできないことがある)」。
受験システムが学校の教育内容に縛りをかけてきた時代に育った今の親世代は、「より早く、より高い得点で」を無意識に望んでしまいます。おとなたちに、「そうじゃないよね」と思い出させてくれるのが「障がいのある子」といっしょにいる生活なのです。違う感じ方、違う考え方、違う文化の人を受け入れていっしょに生活できることは、国際理解の基本です。
英語の単語や言い回しを覚えても、それでコミュニケーションできるわけではありません。大切なのは違うものを認め合うということ。ことばがなくてもいっしょに遊べる、この子はお話しないけれど私にはこの子の考えていることがわかる。「障がい」のある子どもたちと見事につき合いながら、子どもたちは自分とは違うものを認め学んでいます。

幼稚園によくお母さんがいるけれど、親の参加行事がたくさんありますか?
子どもへの共感と子どもの引き出しを広げ、大人の自己表現の場。
子ども時代をやり直す「おすそ分け」の場として、できる範囲でやりたいところでお家の方の出番を用意しています。そしてお家の人同士のつながりが保育の枠組みを広げ、子どもの安心のネットワークにつながります。