幼子が 新たな一歩を 踏み出すとき…新しい世界への扉を開く、春に寄せて…~ぐみ・どんぐり開園式での「園長のあいさつ」に代えて~
- 木の花幼稚園
- 4月18日
- 読了時間: 7分

新たな生命が芽吹く春、それは新しい「大冒険」の旅の始まりのときです・・・。
0歳や1歳、2歳の子が家庭、親元を離れて、初めて幼稚園(保育施設)の集団に入る…ということ自体、大きな飛躍です。そこで見るもの、聞くもの、触れるもの、すること、やること、初めての体験の連続です。子どもの意識からすれば、無理やり引き離される…と感じていることでしょう。お家の人と一緒に過ごせる場所、と思い込んでいる場合もあるでしょうし、そこに母や父がいる‥とセットでの「門出」のつもりだった…、かもしれません。例えてみれば、大人が海外への一人旅に「強制的に」出されるようなものです。そこには未知なるものへの期待、好奇心もある一方で、緊張、不安、恐怖が入り混じった心の高ぶりetcを感じることでしょう(…と子どもの心境を想像してみてください)。
そんな子どもの激しく揺れる感情の高ぶり(大泣き、暴れる、激高するetc)はある意味、当然の発露です。思い切り泣けばいいし、暴れればいい。幼稚園はそんな感情を吐き出していい場所です。泣きやまそう…という小手先の大人の対応は見透かされるばかりです。たっぷり泣いて一日を終える芯の通った子もまれにいます(笑)。しかし、たいていは時間をかけつつ、いつの間にか周りに目を向けていきます。傍らにいる大人の存在に気付くかもしれないし、目に留まったモノに気が惹かれるかもしれない。あるいはお家とはちょっと違う空間の広さや家具の違いに目がいくかもしれません。他の子の笑い声や歓声、時には泣き声が耳に留まって泣きやむ子もいます(一方でつられてあえて「泣いてみる」子もいますが)。時には顔を寄せた花の匂いや果実の匂いに、ふと吸い込まれるように落ち着く場合もあります。
五感をフル稼働して、その子なりに今、置かれた状況の中で、自分の心の不安、動揺、葛藤と向き合い、自分自身の気持ちの安定・安心をお家の人から別のモノ(ひと)に置き換えて確保しながら、少しずつ周りに目を向けていく心境の変化は大いなる成長の証です。お家の人に代わる、この場所での安心感を寄せられるように、とスタッフは、一人一人の子どもの姿に応じて誘い掛けや興味のある遊びの提供など日々腐心の連続です。その中で、子ども自身が、自分で自分を安心・安定できるようにひと・モノ・空間を掴み取り、そんな安心できる自分の居場所を見出す、紡ぎ出すところに、時間をじっくりかけてあげたい、と思っています。

また安心の拠り所になる空間として、0歳、1歳のお子さんにはぐみ棟を用意しています。本園の以上児の遊びの世界の「喧噪」から離れた別空間を用意することで、特に聴覚の発達が幼児に比べて不十分なこの時期には別棟での静かな環境の中で、安心・安定を得られるモノを掴み取ってほしい、と願っています。一方、2歳のお子さん、とりわけ長時間を園で過ごすお子さんは本園の一室に拠点を構えて、午前中の昼食を終えるまでは、本園の以上児の世界を目の端に捉えながら、安心・安定のきっかけを「外の世界」からももらえるように設定しています。同時にお昼寝以降の疲れが出る午後の時間帯はぐみ棟でより静かな環境で落ち着ける空間を用意したい、と考えています。
お家の人がいなくてもこの場所で安心・安定感を持ちながらやっていける・・・という内面的な心情をもつまでの時間は一人一人異なります。ゆっくり、じっくり見守っていきたい、と思います。

安心・安定の拠り所を持ちながら、いよいよ一人一人、自分だけの世界を見出す段階への脱皮を少しづつ遂げていきます。それぞれが自分の興味関心のまま、探索であったり、実験であったり、試作であったり…生活の拠点をベースに、担当の先生の存在や気に入ったモノなどを手にすることで「やってみよう・・・」と思えることに没頭できる何かを見出し、掴んでいきます。興味関心は、その子その子で異なりますが、ぐみ棟あるいはどんぐり保育室から園庭へ、本園の色々な空間へ、空間的な行動半径を拡げていきます。一人一人が「没頭できる」何かを見出して、みて、みつけて、えらんで、やって、ためして、ぶつかって、やりなおす…繰り返し、繰り返し行っている動作、行為、この時間、この時期がその子にとっての身体で学びをつかみ取る大事な「ため込む」時間、時期です。アンテナがどんどん張り巡らせていくことと思います。時には大人がハラハラ、ドキドキしながら、でも「やってみたい」という想いを大事にしたい、と考えます。(できる、できないではなく、やってみたいことがやれるか、がポイントです。)そして本人は気づかないかもしれませんが、自分の中の新たな「自分」が徐々に生まれてきます。
A・Aミルンの「くまのプーさん」に『六つになった』という詩があります。
1つのときは
なにもかも はじめてだった。
2つのときは
ぼくはまるっきりしんまいだった。
3つのとき
ぼくはやっとぼくになった。
4つのとき
ぼくはおおきくなりたかった。
5つのとき
なにからなにまでおもしろかった。
今は6つで
ぼくはありったけおりこうです。
だから いつまでも
6つでいたいと ぼくはおもいます
1歳から6歳までの子ども達の内面の成長を端的に表現した有名な詩ですが、「なにかも初めて」で、「まるっきり新米だった」子どもたちが「ぼくになる」「わたしになる」3歳へ。「ぼくはぼく」として、「わたしはわたし」として、「やっと」辿り着くのが年少さんの入り口。自分自身の存在をしっかり自己主張できる年少さんへの入り口が、同時にぐみ、どんぐり時代の卒園の時です。自らの五感をフルに使い、新たな場で自ら安心・安定を掴み、身体で学び取る体験生活を通じて、時間をかけて、子ども達の世界を創る生活主体者の卵として、「ぼくはぼくである」、その入り口に辿りつく頃、周りの友だちと一緒の面白さ、楽しさの感情が徐々に芽生え、高まっていきます。そして本園の木の花暮らしに本格的に入る、集団の楽しさを実感し、集団で園生活を自ら創る、次の段階を迎えます。

こうした未満児の時代にお家の方々にお願いがあります。
長い目で、「その子らしさ」の育ちを見守って頂けますか?! 他の子の比較ではなく、その子らしさの育ちを共に見守っていきたいのです。玄関際で泣いて心配かもしれません。自己主張が発揮されるに従いトラブルや喧嘩もあるでしょう。うちの子はまた手を出して、とか、あの子はもうこんなこと出来るのに、うちの子ったら…等々、心配の種は尽きぬかもしれません。しかし、ぶつかるような関わりがあるからこそ、生まれてくる人間関係もあります。他の子の動きに左右されない自我の強さもその子らしさかもしれません。そんなトラブルが許される(「糧」となる)、その子一人一人の歩み(育ち)を大事にできる場が、それが幼稚園です。そしてゆっくり、じっくり、まったりと試行錯誤の繰り返しで子ども達は日々変わっていきます。驚くほどに・・・・。お家の人がいなくてもやっていける!と自信に満ちた「自分」を見つけていきます。
もしも、あれ?と疑問に思ったり、これは?と不安に感じることがあれば、どうか直接担任あるいはスタッフ誰にでも遠慮なく何でも訊いてください。また木の花暮らしの中で、これってどういうこと?と感じることがあるかもしれません。ささいなことでも構いません。疑問に思えば遠慮なくスタッフまで訊いてください。世間の目やネットの育児情報などではなく、直接確かめてください。
SNSやママ友談議での情報も時には必要かもしれませんが、スタッフに直接話を聞き、我が子と周りを取り巻く全体像をつかんでみる。そうした対話を大事にする大人の在りようは、IT、AIが普通になる時代に生きる今の子ども達にはとても大事なことと思っています。
そのためにもう一つお誘いがあります。
子ども達にとっての「旅立ち」は、それは同時にそこに関わる大人達にとっても新たな「旅立ち」です。木の花で出会ったのも何かの縁。保護者会の係は以上児クラスからですが、折角の機会です。木の花暮らしの親の出番に色々と混ざっていませんか? 子どもとお家の人と共に築く生活の場としての実り豊かな時間であってほしいし、木の花ではそんなきっかけや仕掛けをたくさん用意していきます。よかったらどうぞ混ざってみてください。「生の目」で木の花暮らしを覗いてみて、そしてお家の人もこの時期、この時間を楽しんでほしい、と願っています。
一人一人の子ども達の人生をより豊かに、そして広く未来の持続可能で平和で豊かな社会、世界の礎となるような人として育ってほしいし、予測不能な不確実なこの時代を逞しく乗り越えていけるように、世界中の子どもたちが平和な暮らしを享受できるように、という願いを込めて、「子ども達の世界」をお家の人たちと共に創造していきたい、と思っています。ドキドキ、ワクワクを、子ども達だけでなく、大人も味わえるよう願っています。
本日はご入園、おめでとうございます。スタッフ一同、心からお喜び申し上げます。
あゆどん(記)
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