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木の花幼稚園

4月の子どもの「つぶやき」&木の花あるある紹介…

 今月(前月というべきか?)より新たに子どもたちのおもろい「つぶやき」(言葉のみならず行為や姿など含む)とそこに関係する(絡む)木の花ならでは(だからこそ)のあるある事象についてミニ解説(由来、背景など)を、つれづれなるままに軽くご紹介致します・・・・。なおつぶやきは各スタッフから教えてもらいました。

 

「見せたくないの!」

 おやつの時に、「手洗ったん?」と本当にしたのか確認したところ、「あなたには見せたくないのっ」とハッキリ言って手を背中で隠して見せないようにしていた、ことがありました(笑)。うめもものプリンセスちゃんです。言葉にしてそれを言えるのって凄いなって思いました・・・(笑)。 


「した?」「うえ?」

 お列散歩で、先生と年長のAくんが閻魔大王の話をしていて「何で舌(した)抜くんかねー?」と話していました。

 するとその話を聞いていた年長のBちゃんが「上(うえ)でもいいんにねー」と言っていました(笑)。

 Bちゃんは「舌」が「下」だと思ったようです!(笑)

 日本語の難しさを感じつつ、可愛らしい間違いだなと感じました。 


「じいちゃん!」「じんじゃ!」「にんじゃ!」・・・

 どんぐりさんと年少さんでお散歩に行くことになった日に、「神社に行こう」とみんなに言うと、Cくんが目をキラーンとさせて「じいちゃんのじんじゃ、行く!」「じいちゃんのじんじゃ!!」と連呼。

 それを聞いたDちゃんやEくんが連鎖反応で「Dはじいちゃん!」「Eはじんじゃ!」と盛り上がりはじめました。

 そこにFくんが入ってきて「オレはにんじゃだ!」とキメ顔。すかさず「Eもにんじゃ!」「Dはじいちゃん」。Cくんは一貫して「じんじゃ行く!」と「じいちゃん」と「じんじゃ」と「にんじゃ」の応酬合戦が続いて笑えました。

 2歳児さん同士のことば遊びって感じでほのぼのして可愛かったです♡

 

「みかんをとる」なら工事の棒で・・・

 4月に入って最初に「夏みかんをとりたい」と言ったのは年少さん〔元ぐみ〕でした。

「みかんをとりたい‼︎」と、言うので。

 「どーぞ」と、答えると‥、何の迷いもなくさささと、工事の棒を手に取り、枕木に乗って手を伸ばす光景に笑ってしまいました。子供達にとって、収穫する時は工事の棒が必須で、工事の棒は万能のモノと伝承されてるいるようです。〔去年、ずっと見てたのでしょうね〕

 その年少さん。

 何度も何度も🍊を工事の棒の先っちょの輪っかに引っ掛けているうちに、🍊はポトリと落ちて、初🍊をゲットしておりました。

 <木の花あるある その1・・・園に果樹がある風景>

 

間違えんといてね・・・

 時々ですが、ゆかりどんに向かって「あゆどん~」と呼びかけたり、あゆどんに「ゆかりどん、こっち来て」と呼ぶ新入園の子が毎年います(笑)。そのたび、「違うから、あゆどんはあのおじいちゃん、ゆかりどんはわたし・・・」「ゆかりどんはあのおばあちゃんやで・・・」と訂正しております(笑)。時々ですが、あゆどんを「園長先生」と呼ぶ子もいて、だいたい転園児さんです。なるほど~と育ってきた背景を感じますが、以前卒園生(もう成人の方)が、久しぶりに外で元職員の事務のT先生に会った際(このときは学生)、「園長先生、お久しぶりです」と丁寧にごあいさつされた、という話をT先生から伺いました(当時は大井先生が園長)が、なるほどねえ、子どものイメージってそんな感じなんですね(笑)。

<木の花あるある その2・・・呼び名について>



その1 果樹のある幼稚園・・・武家屋敷に由来する果樹や樹木類を代々大事に伝承しています。

    

 武家屋敷で開園しているので当初から園庭には果樹が当たり前のようにあり、昔から保育の「教材」として使われていました。(大正時代の内務省の幼稚園調べの資料の保育項目の一つに「菜園」と並んで「果物採取」「摘み草」などが挙げられています。果物の具体的な中身は、「蜜柑」「林檎」「栗等」とあります。)


 中でも栗については昭和戦前生まれの高年齢の卒園生たちが100周年記念の際の座談会で多くの方々が語っているので印象深いものだったのでしょう。栗の花で遊ぶ、イガ付きの栗を拾い集めて、イガから取り出して茹でて食べる、イガを焚火に使う・・・etc。

 この栗の由来ですが、以下のように聞いています。木の花幼稚園の設立に関わった当時のスタッフの一人である坂野鈴子さんが昭和天皇の幼少期にご養育係の侍女として皇居に出仕し(昭和天皇が5歳から13歳まで)、退職された際に下賜されたものが昭和天皇の着物と栗の実。その栗の実が園の庭で育った、とのこと。(鷲尾幾子「木の花の思い出」『北國新聞』昭和29年6月30日)

 残念ながら皇居由来の栗の木は1990年(平成2年)の現園舎の建築の際に移植されたものの枯れてしまったそうです。現在の二本の栗の木はその後新たに植えられたものです。現園舎を建て替える際に多くの樹木、果樹は移植ないしは切られたようで、栗と同様、新たに植えられ育てられて今に至っています。旧園舎から引き継いである果樹・樹木は通りに面した槇の木でしょうか。これも秋には実が熟して拾い集めて食べたり遊びの材料にしています。

    

 なお今現時点で園庭の果樹類は、前出の栗、槇の他、夏ミカン、蜜柑、柿、アケビ、李、杏、ぐみ、梅、栃、カイドウ林檎、鉢植えに、イチジク、ブルーベリーがあり、季節に応じて子どもたちの保育の糧となっています。<写真は昔の在園児(今は成人を超えた卒園生)の栗取りチームプレイの様子。栗拾いもさることながら、待ちきれずにあの手、この手で栗を取らんと奮闘努力する様は昔も今も変わりません…(笑)>

    

 ちなみに工事の棒は工事関係者から頂いたものです(▲コーンや折り曲げ柵なども)。

遊び道具として置いておいたところ、この棒で柿の実を取り始めた子どもたち(今はも

う高校生くらいでしょうか)。昨年度は棒を繋いで李もゲットしていました(結構高い

場所にあります)。果実の取り方も子どもから子どもへ、と伝承されています。


 

その2 スタッフの呼称・・・本人の納得感で決めてもらっています。

   

 昔(平成5年以前)、保育者は下の名前で「さなえ先生」「ゆかり先生」等々と呼ぶ習わしだったようです。初めて先生の呼称を止めた(止めさせてもらった)のが「あゆどん」でした。働き始めた当時、無免許・無資格で見習いのような立場なのに、「あゆ先生」(と呼ばれて)どうにも居心地が悪く、子どもたちが「あゆどん」と呼んでいたのが気に入り、そのまま使わせてもらうことにしました(子どもら的には怪獣、恐竜のイメージだったようです)。

 続いて「ゆかり先生」が3年目に「あゆどん」と組んだ1学期に産休になり代替で入ったのが当時の園長の大井先生(これは究極の組み合わせですね・‥笑 呼称は「よしこちゃん」だったかと)。さて2学期から産休明けにクラスに戻ってきた「ゆかり先生」は、あゆどんーよしこちゃんのクラスに浦島太郎状態だったようで、「ゆかりどん」に改称することにしました。(この時に別のネーミングにしていれば、と思うのですが、「どんくさいからどん」でだったか、今となっては後の祭りです。・・笑)

 3番目は昨年度退職されたケイコPです。当初、ケイコTと子どもたちに言ってもらっていたはずが、いつの間にか、ケイコPと言うようになり、その言い間違いが気に入ったらしく、ケイコPという呼び名になったそうです。

   

 その後、新規に雇われた先生たちは、どう呼称するか?色々と考えて今に至っています。もちろん○○先生のままでやりたい・・・というスタッフもいて、それも当然OKです。要は自分が現場に入ってスイッチがオンになる呼称は自分自身の納得感があるものであればよく、本人次第ということです。

 

 保育現場で子どもに呼ばれるのはそれでもいいけど、保護者は呼びににくい・・・という声も聞きます。気楽に呼んでもらって結構ですよ、とこちらは言っても、年齢も倍以上離れたおっさんに向かって「あゆどん」とはなかなか言いずらいのも分かります。スタッフでも若手の中で「鮎川先生」と呼ぶ人もいるし、「あゆどん」と呼ぶ人もいます。目くじら立てて「あゆどん」と呼べ、なんて野暮なことも言いません。人には名前(姓)があり、呼称としてのニックネームもある。互いの関係性の中でニックネームがすっきり言いやすい方も入れば、名前(姓)で呼ぶ方が気楽です、という方もいるでしょう。呼ぶ方の言いやすさも尊重します。(ちなみに園の会議などフォーマルな場面では、あゆどんも「ゆかり先生」としっかり先輩を立てて呼んでおります。)<写真は111周年記念白山登山の時の一コマ。>


                                  あゆどん(記)

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