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木の花幼稚園

2024年度 保護者会総会に寄せて

おお~きな のっぽの古時計♪ このは~なの とけい~♪


                「けったいな形態」の木の花幼稚園・・・

 今年の6月11日で園は119歳となります。現存する日本最古の幼稚園は、お茶の水大学付属幼稚園で創立は明治9年(1876年)。以後、全国に少しずつ幼稚園は増えていきますが、木の花は明治38年(1905年)の創立です。当時、日本はロシアと戦争中でした(日露戦争って知ってますか?)。県内では金沢大学付属幼稚園、キリスト教の北陸学院大付属第一幼稚園に次いで3番目に古い幼稚園になります。この二つの園は後年共に郊外に移転しましたが、木の花は開園当初からこの長町にあり続けています(なので古い資料、遊具などもたくさん残されています。一部会議室に展示。この創立記念日あたりは子どもたちが「歴史」に触れる機会にも。特に年長、年中さんは資料室に来ることもあります。ちなみに年中さんはここの「そり」に目が奪われて、今度の父レクのテーマに据えた、とか)。


 こうした大学などの付属幼稚園でもなく、キリスト教や仏教などの宗教園でもなく、創設者(オーナー)の世襲で園長や理事長が続いている園でもないこと。このような園は県内にはなく全国的にも相当珍しい園だと思われます。


1.20ショック・・・

 厚労省の人口動態統計2023年の発表が先日ありました。女性の合計特殊出生率が1.20の過去最低を更新、と報道でも大きく取り上げられましたね(東京は0.99。ついに1を切りました)。減り続ける子どもの数、真っ先に影響を受けるのが幼児教育・保育施設です。数年来声高に言われてきた待機児童問題から施設の存続への危機に切り替わりました。そうした危機意識は幼稚園だけでなく保育園、子ども園でも同様です。

 

 木の花も過去に一度閉園の危機がありました。戦後から高度経済成長期には300人を超えていた園児数が街中人口の減少、いわゆるドーナツ化で全園児30名を切った時期、昭和50年代後半から60年代です。木の花だよりを発行してPRに努めたり、特製の園章ワッペンを用意したり、園庭に汽車型の遊具を入れたり、園も色々努力は試みていましたが、学校法人の理事会で閉園について議論となりました。しかし、閉園もやむなし・・・という学校法人の声を聞き、立ち上がったのは当時の母たちでした・・・。


危機に際して母たちが立つ・・・

 「バザーをして稼いで遊具を買おう・・・」と母たちがバザーを始めたり毎日がお弁当であった当時、理事長と直接交渉して外注搬入の給食導入のきっかけを作ったり、さらに「わたしたちも作るから・・・」と保護者会クッキングを始めたり、お芋畑を地域でみつけて芋ほり遠足が始まったり、当時の園長先生がお茶の師範なので母たちの依頼で年長児のお茶が始まったり、私ら手伝うからとお泊り保育を始めたり・・・。夕涼み会、誕生会やクリスマス会など今に続く行事の大半がこの時期に保護者たちの提案と対話、協力のもとに生まれています。


 子どもから子どもへと遊びの文化を繋いできたように、閉園という危機の際に親たちの主体的な発想と行動力で、閉園を乗り越え、保育の枠組み、生活の在り方を拡げ、「大人の参画」という園の保育文化を再生、時代に見合うようブラッシュアップしてきた歴史があります。明治以来の母の会からこの時期に保護者会と名前を変えて、今日まで創造的に発展して保護者会は引き継がれています。


              保護者会が消えてゆく幼児教育の現場・・・

 

 園児数が30人前後の少ない時代は保護者会も役員さんが役員、バザー、クッキングなどすべて担っていましたが、園児数が増えるにつれて、バザー委員、クッキング委員、写真係など分かれて分担するようになりました。(当時は役員・委員・係でした・・・。)さらに子ども園になり、夕涼み係、発表会係など新たな係を新設したり、一方でリサイクル委員や畑係、謝恩会係等、消滅したりした係などもあります。このような自主自立的な保護者会の在りようも今日の幼児教育・保育施設ではとても珍しくなりました。保護者会があっても形式的な園がどんどん増え、無くしている園も増えています。親の手を煩わせない・・・ということを売りにしている園も増えて人気を博しています。


 小学校教育以降のような教科学習と違い、遊び、生活の体験学習が核になる幼児教育の豊かさのポイントの一つはその周辺の大人の存在の在りようです。子どもたちの興味関心を拡げる題材や環境の豊かさ、一人一人の育ちを我が事(我が家)のように喜び合える、たくさんの大人の手が子どもの背中を支える、親同士の関係性の豊かさが、子どもたちの育ちの安心・安定の土台になり、人間関係の在りようを学び、その子がやってみよう!と飛躍する挑戦のきっかけにもなります。そんなの可能性の「裾野」を拡げる冒険のチャンスを生み出している人的環境のひとつが周りの大人たちの存在、繋がりであることは間違いありません。

 

 100年以上同じ土地で園バスを持たずに幼稚園を続けてきた原動力の一つには関係者や卒園生、そして今は家庭の方々の想いと繋がりが基盤にあります。


子ども受難の現代・・・

 現代はITによる情報通信技術は世界を繋ぎ、AIによるチャットGPTなど答えがすぐ出る、便利な時代かもしれません。でもそれは本当に知性を磨く、人々の幸せを生み出すものなのでしょうか? フェイクに炎上、ネットいじめなど膨大な情報洪水の中で、命すら自ら落とす子どももいます。コロナ禍の3年間で小中高校の自殺者数は増加、学童の自殺者数は過去最高とか。自殺の低年齢化に拍車がかかっていて、自らの未来に希望を描けない子どもたちの増加は、今の日本社会の在りように大きな警鐘を鳴らしている、と感じます。大局的に見ても新型コロナはじめ感染症クライシス、亜熱帯化しつつある猛暑にゲリラ豪雨、巨大台風などの気候変動に伴う自然災害はもう異常ではなく日常になりつつあります。また能登半島地震のような巨大地震が群発して起こる地殻変動期に日本列島は突入している、とも聞きます。通園バスでの園児置き去り、児童虐待と変わらない「不適切保育」など衝撃的な事故・事件も次々に明るみに。背景には低賃金の保育士の労働環境があることが指摘され、配置基準の見直しにようやく国も着手していますが、教員志望の減少と同時に保育士、幼稚園教諭志望の学生がどんどん減って人手不足と相まって保育の質が低下していく懸念が現実にこうした形であちこちで表出しています。子どもの安心・安全をどう担保して保育を行っていくのか?そうした事故・事件への対応がさらに機器による「安全管理」とチェックリスト・・という方向性がますます強まり子どもの生活をさらに窮屈にする悪循環。息苦しさを感じ、本当に悩ましい時代状況、世相に気分が重たくなります(世界に目を向ければ戦争がホントに身近になりつつある危惧も・・・)。


多様な子どもたちが育つ系譜、土壌・・・

 そんな時代ですが、木の花は地域、お家の方々に支えられて今や化石のような子どもらしい文化を残してここで息づいています。今年度からは幼保連携型にもなりました。特に何が変わったということもないのですが、0歳の受け入れが可能(これまで0歳さんのきょうだいの子がよその園への通園を余儀なくされ申し訳なかったのですが、可能に)、健診が年2回、避難訓練が月1回・・・ということ以外は変わりません。1,2歳の小さい子が混ざる生活への慣れも子どもたちの姿から感じるようになりました。

 

 歴史を振り返れば満3歳を迎える前の2歳児はずっと昔から園に存在していました(きょうだいや地域の諸事情で預かるケース)。ちなみに昔は6歳児も在園していました。就学猶予で学校やるにはまだ早いしもう1年預かってもらえる?という感じで子どもの育ち、家庭の実情に応じた就園を認めていたようです。多様な子どものたちが共に育つインクルーシブな生活も昭和の初めの時期の保育日誌にも伺えます。2歳から7歳までの色々な子どもたちが集う園生活・・・という緩やかな実態が明治から昭和の半ばまで続いていました。そんな異年齢を含めた多様性のある園生活をDNAとしては持っているのが木の花です。他園を調べたわけではありませんが、こうした点も木の花は全国的にも珍しいのではないでしょうか?


                  子どもたちの未来を見据えて・・・

 一人一人の子どもがその子らしく育っていく園生活、個性あふれる発想、それぞれの感性が響き合い、一人一人に出番が子どもにも大人にもある木の花暮らし。ここで育つ子どもたちが、一人一人が不透明な未来の新しい時代を切り拓き、寛容性のある希望の持てる平和で持続可能な社会を築く担い手になることを信じています。そんな子どもたちを育てる両輪がスタッフたちの教育・保育の営み、そして保護者会、おやじの会の支えです。様々な保護者の方が参画できる場であり続けてほしいと願い、また多様な子どもたちが共に育つ環境を周りから見守り、色々な大人たちの「手」で一人一人の子どもたちの「背中」を支え、時には挑戦しようとするその「背中」をそっと押してあげられる、一人ではなくみんなでする子育て、共に育てる共育の場を、より今の時代に見合うように作っていければ、と願っています。

 

100ねん 休まずに チクタクチクタク こどもたちと いっしょに チクタクチクタク♪

いまも なお あゆみつづける きのはなの とけい~♪


 来年は120歳となります。これからも末長く、木の花の保育、園運営にご理解、ご協力をよろしくお願い致します。本日は本当に有難うございました。


                             あゆどん(談・加筆修正)

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