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時は今! 世界を創る 主人公・・・

新しい冒険の「旅立ち」の日に寄せて~入園式での「園長のあいさつ」に代えて~(以上児バージョン)


 新たな生命が芽吹く春、それは新しい「大冒険」の旅の始まりのときです・・・。

 家庭を離れて初めて入る幼稚園(集団生活)は、そこで見るもの、聞くもの、触れるもの、すること、やること、初めての体験の連続です。家族(家庭)から子ども達が集う新しい「基地」への旅立ちは、例えてみれば、大人が海外への一人旅に初めて出るようなものです。未知なるものへの期待、好奇心、そして緊張、不安が入り混じった心の高ぶりetcを感じることでしょう(・・・と子どもの心境を想像してみてください)。

 

 木の花暮らしで先ず出会うのは、遊び心を動かす「空間」です。

 

桜、梅、杏、すもも、アケビ、柿、夏ミカン、ミズナラ(どんぐり)等々・・・自然の季節感を全身に感じる木々は登ることも、なりモノを採取することも出来ます。どこを掘ってもいい庭は数多の草花と虫たちが集います。武家屋敷に由来する園舎は、開放感と共に、キャットウォーク、デッキにベランダなど「隠れ家」的な小宇宙があちこちにあり、空間そのものが遊びを生み出す母体。子ども達の新たな「暮らし」の「基地」になります。


 ふたつめにはそんな空間に絡めて遊ぶ多種多彩な「モノ」です。

 今時の便利なゲームやiPad、知育教材ではなく、大型積木、ピーナッツボール、ケンパープレート、新聞紙やペットボトル、段ボール、布、木片やらの廃材、庭の様々な自然物…。遊び方が決まっていない、答えがあるわけではない、想像と創造の余地のある素材としての「モノ」を様々に用意し、空間に絡めて如何様にも活用できます。


 三つめは、そんな空間とモノを介し多様な「ひと」との出会いがあります。

 同じクラスの友だちは言うに及ばず、学年を超えた色々な子ども達との繋がり、みんながみんなを知っている新しい人間関係が自然に培われていき、それは園を軸にそれぞれの家庭(家族)の色々なお父さん、お母さんや地域(ご近所)に住む様々な人たちにも出会いの場を広げていきます。


 

 四つ目は、多様な出会いの場を保障する、ゆったりとまったりとした「時間」です。

 時間割りのように区切られず、大人のタイムスケジュールではない、連続性のある「子ども時間」です。一人一人のペース、テンポを大事に、木の花暮らし特有の流れとリズムのある一日、四季を感じる一年・・・。


 そして五つ目は、そんな空間とモノ、ひととの出会いを繰り返す時間の中で体感する、「園文化」との出会いです。


 118年の時を超えて引き継がれてきた園の文化・風土が脈々と木の花暮らしには息づいています。園バスのない歩く生活やご近所での買い物とクッキング、畑で育てたお芋に落ち葉を集めての焼き芋etc、面倒なことを厭わず、様々な生活丸ごと体験を活かす、そんな暮らしを大事に子どもたちと創造していく園の文化は、やはり武家屋敷の時代からずっとずっと、子どもから子どもへ、園に関わる大人から大人へと受け継がれ、続いているものです。

 

 「空間」「モノ」「ひと(仲間)」「時間」、そして「文化」・・・本来子どもの育ちに必要な「栄養素」ともいうべきこれらは、便利になった現代社会の子どもたちの周りからどんどん失われつつあります。だからこそ大事にしたい。心揺さぶられるものとして、人生のもっとも多感な幼児期にこそ「出会って」ほしい、と思っています。冒険できる空間で、モノと戯れモノと格闘し、時に失敗も経験し、様々な多様な感性と価値観をもつ友だちと大人たちと出会い、外から与えられた時間割ではなく、自らのペースを大事に、自らの頭と心と身体で「くぐる」体験を大事にする文化を味わいつつ、木の花暮らしを自分自身の生活の場として感じとってほしい、と願っています。

 

 ぐみやプチとして経験している子どもたちにとっては「空間」「モノ」「ひと(仲間)」「時間」、そして「文化」、を、なんとなく身体で感じ取ってきました。家庭以外の新たな居場所を見出し、安心・安定感を自ら掴み、一人の世界、自分自身の世界を見つけ、たっぷりと堪能しながら、本園の以上児の子ども達の創る遊び、生活、活動、行事を肌で感じながら、その「おすそ分け」をゆっくりと、じっくりとそれぞれのペースで体感しながら自分の世界を堪能してきました。そして、今、これらの要素を組み合わせて自分「たち」の手で、自分「たち」のための、自分「たち」の世界を創り出す、スタートラインに立っています。初めて園生活に入る仲間たちの先輩として、彼らの安心・安定の拠り所になるかもしれませんし、みて、みつけて、えらんで、やって、ためして、ぶつかって、やりなおす・・・遊びの世界のモデルになるかもしれません。


A・Aミルンの「くまのプーさん」に『六つになった』という詩があります。


 1つのときは なにもかも はじめてだった。

2つのときは ぼくはまるっきりしんまいだった。

3つのとき  ぼくはやっとぼくになった。

4つのとき  ぼくはおおきくなりたかった。

5つのとき  なにからなにまでおもしろかった。

今は6つで  ぼくはありったけおりこうです。

だから いつまでも 6つでいたいと ぼくはおもいます

 

 1歳から6歳までの子ども達の内面の成長を端的に表現した有名な詩ですが、「なにかも初めて」で、「まるっきり新米だった」子どもたちが「ぼくはぼくになる」「わたしはわたしになる」3歳たちが集まる年少の時代。「ぼくはぼく」として「わたしはわたし」として一人一人が、今度は集団として、もっと「大きくなりたい」、「なにからなにまで面白くする」、世界を自ら紡ぎだす、子ども達の世界を創る生活主体の担い手、主人公になります。

 知識ではない自ら考えて導き出す知恵、選び取る技能、掴んだ情報を組み合わせて考える面白さ、根拠を持って自ら判断できる力、ひとに伝えたいという表現する喜び、多様なことに興味惹かれる好奇心、好きなものに没頭できる集中力、他者への共感、感動する心、そして独り立ちできる自信に満ちた自分・・・・。記憶として残るものは断片的ですが、自ら選び身につけたものは一生もの。数量で計れない、他者と比べるものでもない、目に見えにくい、すぐに答えはでないものだけど、自分の人生を切り拓く本当の「生きる力」を培っていけるように、今、この瞬間という時間を大事に、この子たちが創り出す世界を私たちも熱い想いと知恵を絞ってサポートして参ります。

 

 そんな世界を紡ぎだす入口を前に、お家の方々に一つお願いがあります。

 子どもしか知らない木の花暮らしの数々の「冒険物語」、聞きたいことは山ほどあるかもしれませんが、子どもに根掘り葉掘り訊かず詮索せず長い目で、「その子らしさ」の育ちを見守って頂けますか? 玄関際で泣いて心配かもしれません。トラブルや喧嘩もあるでしょう。ぶつかるような関わりがあるからこそ、生まれてくる人間関係があります。初めての旅には失敗やトラブルもつきもの。そんな失敗やトラブルが許される(「糧」となる)場が幼稚園です。試行錯誤の繰り返しで子ども達は日々変わっていきます。驚くほどに・・・・。子どもの話には耳を傾けてほしいとは思いますが、あれ?と疑問に思ったことがあれば、どうか直接担任、スタッフに尋ねてください。子どもの話は受け止めてもらい、でも子どもの言葉だけを鵜呑みにせず、気になれば遠慮なく訊いてください。また木の花暮らしの中で、これってどういうこと?と感じることがあるかもしれません。ささいなことでも構いません。疑問に思えば遠慮なくスタッフまで訊いてください。「噂」や「世間話」で決めつけず、是非直接確かめてください。


 ITで世界が繋がる便利な時代の一方で、見通しの持てない、答えの出ない現実やフェイクニュースやSNSの拡散で大人でさえ不安やもどかしさ、辛さや怒りを感じることも日々ある今の世界です。SNSやママ友談議での情報も時には必要かもしれませんが、スタッフに直接話を聞き、事実は何か?を積み上げて、全体像をつかんでみる。そうした対話を大事にする大人の在りようは、ITの時代に生きる今の子ども達にはとても大事なことと思っています。

 

 そのためにもう一つお誘いがあります。

 子ども達にとっての「旅立ち」は、それは同時にそこに関わる大人達にとっても新たな「旅立ち」となるはずです。多くの人たちの出会い、様々な新たな体験の中で、お家の人にも新たな「自分」を発見できる機会にもなります。木の花で出会ったのも何かの縁。子どもとお家の人と共に築く生活の場としての実り豊かな時間であってほしいし、木の花ではそんなきっかけや仕掛けをたくさん用意していきます。よかったらどうぞ混ざってみてください。「生の目」で木の花暮らしを覗いてみてください。

 

 予測不能な不確実な時代を逞しく乗り越えて一人一人の子ども達の人生をより豊かに、そして広く未来の持続可能で平和で豊かな社会、世界の礎となるような人として育ってほしい、という願いを込めて、「子ども達の世界」をお家の人たちと共に創造していきたい、と思っています。ドキドキ、ワクワクを、子ども達だけでなく、大人も味わえるよう願っています。

 本日はご入園、おめでとうございます。スタッフ一同、心からお喜び申し上げます。


                                 あゆどん(記)

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